震災後10年が変えた日本市場

2021年3月 9日(火)

世界的なコロナ騒動から一年以上経過し、ワクチン接種が進行しつつも、変異種の登場などもあり、未だにスッキリしない状況が続いています。首都圏も緊急事態宣言が二週間も再延長となり、ブログ 写真.jpg最近はクローバーのオフィスの近所の銀座界隈でも、随分と空き店舗が目立って来ました。なんとなく震災時の記憶が蘇ります。

そんな中、3月11日に東日本大震災から10年を迎えます。死者数は1万5899人、重軽傷者6157人、行方不明者2527人と、第二次世界大戦を経験していない世代にとっては最大の災害でした。当時のことは思い出したくもないという人も多いでしょう。東京でもあっという間に多くの外国人が国外に去って行き、電力の供給不安から駅や街、さらには自宅の照明も落とされ、日々原発事故後の放射能を恐れた生活が続きました。外資が持っていた銀座の一等地が安値で売り出されていたのも良く覚えています。

当時の相場についても振り返ってみましょう。震災のあった2011年には2月21日に高値(といっても1万0857円)をつけるなど好調に始まった相場も、震災で状況は一変します。3月15日には日経平均の下げ幅も1000円を超えました。その後、7月に一旦一万円台を回復するものの、円ドルが10月末に戦後最高値の75.32円をつけるなど超円高の影響もあり、大納会では8455円と年間で17.3パーセント下げました。

昨年の3月にコロナショックでの底値が1万6552円、この2月に30年半ぶりに3万円を超えたことを思うと、随分と時代の変化を感じます。しかし、別の見方をすると面白いことが分かってきます。2011年の最安値は6月で、この時のPBRは0.87倍でした。ちなみにリーマンショックの最安値の時は0.81倍です。去年の3月のコロナショックの最安値の時で0.83倍ですから、底値のPBRは本当に近いですね。ここで注目いただきたいのは、それぞれの底値の時は同じくらいのPBRにもかかわらず、日経平均は昨年3月の暴落時点でも2011年の約倍になっているということです。ダメだダメだといわれる日本の企業でも、この間着実に利益を出しつづけ、純資産を倍増してきたことがうかがえます。

さらに最近日本株専門のイギリス人ファンド・マネジャーから、日本もここ三年ようやく変わってきたという話をききました。彼によれば、日本の株式市場は、平成の30年間、ほとんど顔ぶれも、業種の比率も変化が無かったのが、最近若い創業者が増え、しかも多くがメーカーではなくサービス分野であると話してくれました。しかも、彼らのほとんどが筆頭株主でかつ経営者でもある為、企業としての意思決定が随分早くなってきたこと、また成長のスピードも速いことを好感していました。

そういえば、私も先日25歳のDX系のベンチャー企業の社長にお会いしましたが、彼の会社は2年後に株式公開を計画中でした。若いのにすごいねといった話をすると、彼の後輩のうちすでに2名がエグジット(彼らは会社を大手企業に売却)を経験しているとのこと。また、まだ彼らは実績の少ないベンチャー企業でありながら、大手の上場企業のクライアントを何件も持っていること。つまり、若いベンチャー企業であっても、そこに資金が集まり、大手企業もその実績にこだわらず、良いと判断したら仕事を依頼するようになってきたということです。日本も随分と変わってきたなという印象を強く受けました。さらに面白いことに、彼らが古い体質の中堅企業を、DXの技術や知恵を使って、新たな成長企業に生まれ変えさせようとしているということです。例えば花札のメーカーだった任天堂が、ゲームの世界的企業として変化していったように、若い企業の力で、古い日本企業も生まれ変わる可能性が出てきたということです。

コロナの影響でマスコミからは暗い話ばかり、あれだけ皆が誘致を喜んだ東京オリンピックの開催も盛り上がらず、さらに書店の未来予測の本もこぞって日本の未来には悲観的です。そんな中、着実に水面下ではしっかりとした芽も育っているようです。皆が日本の未来に悲観的だからこそ、未来の成長株であっても割安に買えるのが日本市場の魅力でもあります。しっかり優秀なファンド・マネージャーに良い企業を選んでもらって、さらに10年後の飛躍を楽しみに待ちたいと思います。

多根幹雄