トルコ人の恩返し

2020年12月 9日(水)

parimiki.pngちょっと前の話で恐縮ですが、トルコで地震が発生、114人が死亡、1035名が負傷し、2601戸が全壊、一万8335戸が半壊するなど甚大な被害が発生しました。たまたま私が会長をしているめがねの会社にトルコ人の社員、しかも今回震源となったイズミル出身者がいるということで、何か支援活動をしようという話になりました。いつもならばめがねを持って現地に赴くのですが、コロナ禍の時期でもあり、義援金をおくることを決定、社員にも協力を呼び掛けています。

ご存じの方も多いとは思いますが、トルコは親日で有名な国の一つです。実際、私がスイス滞在中にも、息子の学校にトルコ出身の学生がいましたが、ご家族ぐるみで随分と親しくさせていただきました。

もともとの話は、1890年のエルトゥールル号事件に遡ります。オスマン帝国から派遣された多くの特使を乗せた船が、日本からの帰途、台風にあい和歌山県沖で座礁、沈没してしまいます。このとき、串本町近隣の住民が、懸命の捜査や救助、献身的な介護にあたり、587名の命は犠牲となりましたが、69名は無事救助することができました。また、全国からの義援金も寄せられ、生存者は日本の巡洋艦でトルコに送還されています。当時から130年以上経過した今日でも、串本町には亡くなった犠牲者のための慰霊碑があり、5年ごとに追悼式典が行われています。また、このことはトルコの教科書でも紹介されているようです。

そして、このエルトゥールル号事件から95年経過した1985年、ある事件が起こります。イラン・イラク戦争の時のことです。当時サダム・フセインが「イラン上空を飛ぶ飛行機の全てを48時間後に撃ち落とす」と宣言。そこで、各国政府は救援機をイランに派遣し、自国民を次々と救出していきます。しかし、日本だけが憲法上の問題で自衛隊機が派遣できず、また日本航空も安全上の理由で飛行できないとのことで、216名の日本人がテヘラン空港に取り残されます。タイムリミットがギリギリに迫る中、そこに一機の救援機が到着します。それはトルコ航空の飛行機でした。イラクには500名を超えるトルコ人がいたにもかかわらず、日本人の救出を優先。そのため、トルコ人たちは陸路でイラクを脱出することになります。本来ならば、自国民よりも外国人の救助を優先すれば国内で非難が当然起こるものですが、エルトゥールル号事件への恩返しということで、非難するものはいなかったということです。このエルトゥールル号事件とイラク救出の顛末を題材に、2015年日本トルコ合作の映画「海難1890」が製作され、両国で上映されました。この映画は、第39回日本アカデミー賞で10部門を獲得しています。

その後、2011年の東日本大震災においても、18.5トンの飲料水、缶詰6万8800個、そして約5000枚の毛布など、手厚い支援がなされました。また、トルコから派遣された32名の救助隊は約三週間にわたり支援活動を行いましたが、これは支援してくれた国々の中で最長だったということです。

これ以外にも、1905年、日本が当時世界最強といわれたバルチック艦隊を撃破した際は、白人による植民地支配に苦しむ世界の人々から喝さいを受けましたが、特にロシアに苦しめられていたトルコの人々の喜びは大きく、日本海海戦で大勝利した東郷平八郎にちなんで、「トーゴー」という名の子供が随分と増えたそうです。話が逸れますが、日本海海戦で海に投げ出されたロシア兵を、日本軍は救命し、各地に流れ着いた者も、住民によって手厚く保護されます。東郷はロシア側の司令長官を佐世保の病院に見舞い、彼の苦労をねぎらった上、自国で軍法裁判にかけられる彼の為に、嘆願書をニコライ2世に送るなど、戦後の対応も見事でした。

正直、スイス時代の私はエルトゥールル号事件のことも、イラン・イラク戦争の時の話も知らずに、トルコの人とお付き合いしていました。何かと自国優先になりがちな時代だからこそ、これからはこんな先代たちの素晴らしい美談はしっかり伝えていきたいですね。

少し早いですが今年も信頼してご投資いただきありがとうございました。来年も「世界で一番お客様を幸せにするファンド」の理想に少しでも近づけるよう、スタッフ全員で頑張りたいと思います。

それでは楽しいクリスマス、素敵な新年をお迎えください!

Mikio3.jpg多根 幹雄