奥出雲にみつけたヴィンテージの種

2019年11月12日(火)

syasin1.jpg「ヴィンテージになれるかもツアー」として、第一弾はスイス・ジュネーブ、第二弾はフランス・パリと海外が続きましたが、今年はお客様からのリクエストもあり、島根県の奥出雲を訪れることにしました。奥出雲は私の祖父の生地であり、私が理事長を務める「奥出雲多根自然博物館」のあるところです。

 奥出雲の歴史は古く、遥か神話の時代に遡ります。あのヤマタノオロチ退治で有名なスサノオ(須佐能之男命、天照大御神の弟)が活躍した地で、彼が地上に降り立ったという船通山や、助けたクシイナダヒメ(奇稲田姫)と結婚し新居を構えた地や彼女が鏡として使った池といった伝承の地が点在しています。ちなみに島根県といえば縁結びで有名な出雲大社ですが、そこで祀られているのは「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」のダイコク様ことオオクニヌシ(大国主神)。彼はスサノオの6代目の子孫となります。代々、出雲大社は千家家と北島家が交代でお守りしてきましたが、現在の国造の北島健孝(たけのり)さんは80代目で、先祖はなんとアマテラスの第二子であるアマノホヒノミコト(天之菩卑能命)。126代続く天皇家の祖先であるマサカツアカチカチハヤヒアメノオシホミミノミコト(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命)の弟にあたります。神話の世界と現在が繫がる、トンデモなく時間軸が長~いのが出雲の地なのです。

 また、奥出雲は宮崎駿監督のもののけ姫の題材となった「たたら製鉄」で栄えた地でもあります。実は鉄づくりの歴史は古く、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)はヤマタノオロチの尾から出てきたという伝承があるように、この地で造られた鉄の剣ではないかという説もあります。その後、江戸時代には日本の鉄の6割をこの奥出雲で生産していたということで随分と繁栄し、松江藩主も度々この地を訪れていたそうで、現在も、当時藩主をもてなすために造られた立派な庭や居間、数々の調度品が残されており、今回のツアーでも見学することが出来ました。ここで作られた鉄のうち良質なものは、玉鋼(たまはがね)と呼ばれ、日本刀の製作には欠かせない素材となります。この玉鋼で作成した包丁を以前買ってきましたが、家内はその包丁しか使っていないほど切れ味が違います。

 どうして奥出雲で鉄づくりが盛んになったのでしょうか。この方式での製鉄には、材料である砂鉄を豊富に含んだ土地と、土砂から砂鉄をとるための豊かな水源、さらに燃料となる炭をつくる為の莫大な木が必要です。人々はそれらを求め巡って出雲の山奥にたどり着き、千人規模の集落がいくつも形成されていったようです。彼らを治めるリーダーは鉄師(てっし)と呼ばれ、なかでも田部家、櫻井家、絲原家は、鉄師御三家として今日でも地元の名士で、特に田部家は日本一の山林王の異名をえるほど、たくさんの山林を所有しています。木が育つには、30年かかり、30年ごとに場所をかえて伐採していくので、広大な山林が必要なのだそうです。そういえば出雲大社の遷宮は60年に一度行われるのですが、そのための山林を確保し、60年先の遷宮に備えるとか。やはり息の長い話です。

 さらに奥出雲は「仁多米」という、新潟の魚沼産と並ぶ美味しいブランド米が採れることでも有名ですが、実はこれもこのたたら製鉄の産物です。砂鉄を取る際、大量の土砂が流されますが、それがそのまま下流に流されてしまうと、下流の農家に大きな被害が出てしまいます。そこで、その土砂をせき止め出来たのが棚田でした。これをたたら製鉄で働く人に貸し与えコメ作りをしながら、農閑期に鉄づくりを行っていました。鉄分を含んだ清い水と寒暖の差が「仁多米」の美味しさの秘密のようです。当時のたたら製鉄は、現在の会社というよりは一つの大家族のような組織だったようです。環境対策と人々の生活を、たたらの土木や水を扱う技術を駆使して、見事に解決した好事例です。

syasin2.jpg今回は短かったですが、奥出雲の自然と歴史と文化、そして何よりもそれを支える時間を超えた人々の営みがあって、その魅力を感じることが出来た旅でした。近代化の流れの中で、随分と長い間見捨てられていた地域でありましたが、ようやく時代がその魅力に気づきはじめたようです。様々な問題が山積する現在の世界にあって、その解決のヒントを探るまたとない場所なのかもしれません。是非皆様も一度お訪ねになってみてくださいね。 

多根 幹雄